長野県上田市、社員41名の業務用厨房機器ディーラー。修理の電話を待つ商売から、壊れる前に顔を出す商売へ——顧客との関係を作り替えた三か月の記録
上田駅から車で十五分、国道沿いの倉庫兼事務所に、その会社はある。飲食店、旅館、病院や学校の給食施設に、業務用の食器洗浄機、冷蔵庫、ガス機器を納め、修理する。創業は1984年、現在の社員は41名。うち19名がサービス技術者だ。二代目社長の宮坂誠一(54)が父から経営を継いだのは2015年である。
この会社の売上は、機器の販売と修理でほぼ半々。宮坂が長年抱えてきた不安は、修理売上の読めなさだった。
「修理は、お客さんの機械が壊れて初めて仕事になります。夏場に冷蔵庫が止まれば電話が鳴りっぱなしになるし、鳴らない月は本当に鳴らない。しかも壊れてから呼ばれるので、どの現場も緊急です。技術者は疲れるし、お客さんは営業が止まって怒っている。一番感謝されるはずの仕事で、一番怒られていた」
保守契約という仕組みはあった。年に一度の点検と、故障時の優先対応。だが2026年5月時点で契約しているのは87件。過去5年に機器を納めた先は612件あるから、契約率は14%にすぎない。宮坂は理由を「保守契約を売る理由を、こちらが説明できていなかった」と振り返る。
中小企業庁「2026年版 中小企業白書」は、コスト全般の変動に対する価格転嫁率が直近で53.5%であること、取引先依存度が高い事業者ほど価格転嫁できなかった割合が多いことを示している。同白書はまた、中小企業が差別化で重視する要素として「品質の高さ」に次いで「顧客対応の柔軟性」を挙げる事業者が多いことを報告している。顧客との近さは、多くの中小企業にとってすでに武器だ。課題は、それを仕組みにできているかどうかにある。
最初の一か月、宮坂とサービス課長、事務担当の3名がやったのは、過去5年分の納入記録と修理記録を一つの表にまとめる作業だった。納入台帳、修理伝票、技術者の手書きの作業メモ。紙の伝票は事務担当がスキャンして文字起こしし、顧客名と担当者名を記号に置き換えてから生成AIに読ませた。
AIに頼んだのは二つ。修理の内容を部位と原因で分類すること。そして、修理の前に「兆し」があったかどうかを、作業メモの記述から拾い出すことだ。出てきた結果に、サービス課長は苦笑いしたという。
「技術者は分かっていたんです。『そろそろ危ないですよ』と現場で言っている。でも、それが伝票の隅に書かれて終わっていた。次に誰かが見るのは、壊れて呼ばれたときでした」
宮坂がこの一か月で得た結論は、技術の問題ではなかった。会社は顧客の機械のことを知っていた。ただ、それを覚えておく仕組みと、次に連絡する約束がなかった。巻頭特集の言葉で言えば、記憶はあっても会社の手元になく、次の約束は存在しなかった。
二か月目、宮坂は保守契約の売り方を変えた。それまでの案内は、全顧客に同じ文面のチラシを年に一度送るだけだった。新しく始めたのは、顧客ごとの機械の状態に合わせた「先回り点検」の案内である。
仕組みはこうだ。統合した表から、繁忙期の前に点検したほうがよい顧客を技術者が選ぶ。AIは、その顧客の機種、前回の修理内容、作業メモの「要注意」記述を踏まえて、案内文の下書きを書く。「昨年8月にコンプレッサーを修理した冷蔵庫について、前回の点検で霜取り周りに気になる点がありました。夏の繁忙期前に一度拝見できればと思います」。技術者が内容を確認し、事務担当が送る。
「大事にしたのは、AIに点検が必要かどうかを決めさせないことでした。それを決めるのは、機械を見た技術者です。AIがやるのは、技術者が覚えていることを、お客さんに伝わる文章にすることだけ」
同時に、保守契約そのものを3段階に作り直した。年1回の点検だけの「ライト」、年2回の点検と消耗部品の定期交換を含む「スタンダード」、それに緊急時の優先出動を加えた「プレミアム」。価格は従来の一本だけの契約より上下に幅を持たせた。
三か月目、宮坂は自分の時間の使い方を変えた。週に二日、保守契約をしていない顧客を自ら訪ねて歩いた。目的は営業ではなく、「なぜ契約しないのか」を聞くことだった。90日目までに訪ねたのは30軒。
返ってきた答えは、宮坂の予想と違った。「高いから」は少数派だった。多かったのは「何をしてくれるのか分からなかった」「前の担当さんが辞めてから、誰に頼めばいいか分からない」。関係が、担当者個人に紐づいたまま途切れていた。
宮坂はその日のうちに訪問記録を音声メモで残し、AIに要約させて社内の共有表に貼る運用を始めた。機種、気にしていること、次に連絡する時期と理由。誰が担当になっても、その表を見れば「前回の続き」から話ができる。関係を担当者の頭から会社の表に移す——宮坂はこれを「記憶の引き継ぎ」と呼んでいる。
この90日間で、宮坂は顧客管理システムを新たに導入していない。使ったのは、既存の表計算ソフトと生成AIの業務向けプランだけだ。そしてもう一つ、決めたことがある。顧客の情報を、保守と点検の目的以外には使わない。
「機械の記録を見ていると、お店の売上の波まで想像できてしまうんです。忙しい時期、暇な時期。それを使って別の商品を売り込むこともできる。でも、それをやったら『見張られている』と思われる。お客さんが覚えていてほしいのは機械のことで、店の懐具合じゃない」
取得した情報を、顧客が想定している目的の範囲で使う。個人情報保護法の考え方とも重なるこの線引きを、宮坂は社内のルールとして紙一枚にまとめ、技術者全員に配った。どこまでが「覚えている」で、どこからが「詮索」になるのか——その判断軸は、本号の分析記事で詳しく扱う。
取材の最後、宮坂に、修理の電話が鳴らない月はまだ怖いかと尋ねた。
「今は、鳴らないほうがいいんです。鳴らないのは、うちが先に行っているからなので。売上は保守契約で毎月入ってくる。技術者も、緊急で走り回る日が減って、点検の予定を組めるようになりました。社員の顔が一番変わったのは、そこかもしれません」
関係の再設計とは、顧客との接触を増やすことではない。会社が顧客について知っていることを、顧客のために使う約束をすることだ。この会社が90日で手に入れたのは、新しい顧客ではなく、すでにいた顧客との、続く理由だった。